チョメチョメの真実!山城新伍が遺した伝説の流行語と伏せ字の歴史

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チョメチョメの真実!山城新伍が遺した伝説の流行語と伏せ字の歴史
チョメチョメの真実!山城新伍が遺した伝説の流行語と伏せ字の歴史
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🎵 チョメチョメの真実!山城新伍が遺した伝説の流行語と伏せ字の歴史

チョメチョメ と は、かつて日本の夜を艶っぽく揺さぶった、ある種の魔法のような言葉だ。単なる言葉遊びにとどまらない。猥雑さと洗練、笑いとタブーのギリギリの境界線に引かれた、昭和という時代の見事な目隠しだった。ある世代にとっては思春期の胸騒ぎを呼び覚ますトリガーであり、若い世代にとってはSNSのタイムラインで時折見かけるレトロで奇妙なスラングかもしれない。だが、その裏に潜む文脈を知る者は、年々少なくなっている。

深夜番組のアーカイブや懐かしの映像特集に触れた際、現代の若者がふと「結局、チョメチョメ と は具体的にどういう行為を指していたのか」と疑問を抱くのも無理はない。それは露骨な表現を巧妙にすり抜け、視聴者の想像力にすべてを委ねるという、当時のメディアが編み出した究極のレトリックだったからだ。

山城新伍が放った伝説のフレーズ!誕生秘話と「真の意味」を徹底解明

チョメチョメ と は

時計の針を巻き戻そう。この奇妙なフレーズを一躍、お茶の間の共通言語へと押し上げた張本人こそ、名優であり希代の司会者でもあった山城新伍である。彼がカメラの前で涼しい顔をして口にしたその一言は、あっという間に日本列島を駆け巡り、社会現象と呼べるほどの流行語へと化けた。

誕生のきっかけは、実に即興的かつ機能的なものだった。問題文の中に隠された答え、あるいは口に出すのが少し憚られるような単語を読み上げる際、記号をそのまま声に出して読むという力技に出たのである。文字通りの「××」という表記。それを「バツバツ」や「ペケペケ」と読むのではなく、リズミカルに「チョメチョメ」と言い換えたのだ。この脱力感と絶妙な響きが、視聴者の耳に強烈にこびりついた。

では、その「真の意味」とは何だったのか。本質を言えば、特定の行為だけを指す固定名詞ではない。男女の艶っぽい営み、あるいは公の電波では直接口にできないあらゆる事象を呑み込む「万能のブラックボックス」こそがその正体だ。何を入れても成立する。視聴者が自分の頭の中で勝手に淫らな妄想を膨らませ、勝手に赤面して笑う。山城新伍の手のひらの上で、日本中が転がされていたのである。

クイズ番組から全国へ拡散――『アイ・アイゲーム』が仕掛けた言葉の魔術

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この言葉が爆発的な推進力を得た舞台、それが株式会社フジテレビジョンで放送されていた伝説のクイズバラエティ番組アイ・アイゲーム』である。1979年からスタートした同番組は、夜の浅い時間帯でありながら、どこか大人の色香が漂う異色のエンターテインメント空間だった。

番組の基本ルールはシンプルそのもの。伏せられたキーワードを解答者が当てるという古典的なクイズ形式だ。しかし、司会の山城が問題文を読み上げる際、「ここに入る言葉は……チョメチョメ!」と小粋にウインク混じりで発声した瞬間、無機質なクイズは一変して濃密な大人の心理戦へと変貌した。

スタジオのゲスト陣が照れ笑いを浮かべ、お茶の間では家族が気まずそうに、しかし思わず吹き出す。お茶の間の空気を一瞬で変えてしまう強烈な引力がそこにあった。言葉そのものには直接的な意味がないからこそ、PTAからの露骨な糾弾を巧みに交わしつつ、深夜ラジオのような共犯関係を全国ネットで築き上げることに成功したのである。

東映の銀幕スターから司会者へ:怪優・山城新伍の天賦のセンス

チョメチョメ と は

そもそも、なぜ山城新伍にこのような芸当が可能だったのか。そのルーツを辿ると、東映株式会社の黄金期を支えた時代劇や仁侠映画、そして数々のアクション作品に行き着く。彼はもともと、映画のスクリーンで泥臭く、時にギラギラとした男の色気を放つ本格派の俳優だった。

映画界の斜陽とともに活動の場をテレビへと移した彼は、映画の現場で培った圧倒的な度胸と、人間観察から生まれた軽妙な話術を日本の芸能界で開花させる。映画俳優特有のダンディズムを漂わせながら、口を開けば下ネタすれすれの冗談を機関銃のように繰り出す。そのギャップが、当時の視聴者にとってたまらなく新鮮だったのだ。

下品と上品のスレスレを綱渡りする感覚。これは後進のタレントが容易に真似できる技術ではない。映画スターとしての揺るぎない矜持があったからこそ、あのような脱力フレーズを口にしても決して下劣にならず、どこか洒脱な大人のエスプリとして成立させることができたのである。

「××」を声に出した瞬間:昭和ポップカルチャーにおける伏せ字の機能美

文字情報を音声化する際、記号としての「×」をどう処理するか。活字メディアにおいて、検閲や自主規制を逃れるための伏せ字は明治以来の長い歴史を持つ。しかし、それを視覚から聴覚のエンターテインメントへと昇華させた点において、このフレーズは昭和ポップカルチャーの記念碑的発明と言える。

「×」を「チョメ」と呼ぶルーツには諸説ある。「ダメ」を意味する符牒や、筆記の際の形状から自然発生した業界用語など諸言あるが、それを大衆文化のど真ん中に据えたことのインパクトは計り知れない。隠せば隠すほど見たくなるのが人間の性(さが)だ。伏せ字にすることによって、逆にその奥にある実体を際立たせるという逆説的な表現技法が、ここに見事に完成した。

直接的な言葉を使わないからこそ、受け手は自らの知識や妄想力でその余白を埋めざるを得ない。テレビ画面と視聴者のあいだに生まれたこの双方向のコミュニケーションこそが、昭和後期の熱気あふれるメディア空間を象徴していた。

コンプライアンスの現在地とアーカイブの波:TVerやFODが拓く再評価

翻って、現代のメディア環境を見渡してみよう。コンプライアンスの厳格化が叫ばれ、あらゆる発言に説明責任と客観的正しさが求められる時代だ。少しでも曖昧な表現や、性的なニュアンスを含んだ言葉遣いは、即座にSNS上で議論の的となり、時に過剰なまでの批判に晒される。

だが皮肉なことに、そうした息苦しい空気の反動として、かつての奔放なテレビ文化への再評価が静かに進んでいる。現在ではTVerFODといった配信プラットフォームの普及により、過去の名作バラエティや昭和・平成のアーカイブ映像に触れるハードルが劇的に下がった。

若い世代が配信アーカイブを通じて当時の映像に触れたとき、感じるのは古臭さではなく、むしろ「すべてを直接言わないことの粋(いき)」や「言葉の遊び心」だという。直接的な描写を避けつつも、視聴者と目配せし合うような成熟したメディアの駆け引きが、デジタルネイティブの目には新鮮なクリエイティビティとして映っている。

なぜ色褪せないのか?日本の芸能界とテレビ放送業界に残した巨大な爪痕

一過性のブームで終わる流行語が大半を占める中、なぜこの言葉だけが半世紀近くにわたって日本人の言語感覚に生き残り続けているのか。それは、この言葉が単なるギャグではなく、日本人のコミュニケーションにおける「奥ゆかしさ」と「悪ふざけ」を同時に満たす絶妙なツールだったからに他ならない。

テレビ放送業界が急速に巨大化し、大衆の欲望を貪欲に吸収していったあの時代。山城新伍が放った一言は、制約だらけの電波空間に対する、最も陽気で批評的なアイロニーだったと言える。言えないことを言えないまま笑いに変える。その高度なバランス感覚は、過剰な説明と分かりやすさに偏重しがちな現在のコンテンツ作りに対する、痛烈なアンチテーゼのようでもある。

言葉は時代とともに移ろう。しかし、白黒つけられない曖昧な感情や、公の場では口にしづらい人間臭い本音を包み込む受け皿として、あのフレーズの代わりになる言葉はまだ見当たらない。画面の向こうからニヤリと笑いかけてくる怪優の面影とともに、それはこれからも、日本語の片隅で密かに生き続けていくはずだ。 (出典: チョメチョメ と は(Yahoo!ニュース)