吉岡里帆が『カルテット』で見せた怪演と「人生ちょろい」の深層
カルテット 吉岡 里帆という組み合わせを前にしたとき、多くのドラマファンが思い出すのは、あの吸い込まれそうなほど真っ暗で、一切の感情が抜け落ちた瞳だろう。TBSテレビの火曜ドラマ枠で静かに、しかし決定的な爪痕を残した日本のテレビドラマ『カルテット』。冬の軽井沢を舞台にした大人のアンサンブル劇の中で、当時まだブレイク前夜だった吉岡里帆が演じた来杉有朱(きすぎ ありす)の存在感は、まさに劇薬そのものだった。
単なる悪役や小悪魔という安易な枠組みを軽々と拒絶するその狂気。今や日本映画界や演劇界の第一線で確固たる地位を築いた彼女だが、批評家やファンの間で語り草となるカルテット 吉岡 里帆という原点のエポックメイキングな怪演は、どれほど時が経とうとも色褪せない。なぜ有朱というキャラクターは、これほどまでに私たちの心をざわつかせ、魅了し続けるのか。その核心に迫りたい。
目が笑っていない店員・来杉有朱が与えた戦慄のインパクト

レストラン「ノクターン」のアルバイト店員として現れた来杉有朱。彼女の最大の特徴は「目がまったく笑っていない」ことだった。元地下アイドルという経歴の持ち主で、口元には完璧な営業スマイルを貼り付けながら、眼球の奥には一切の光を宿さない。日常に潜む底知れぬ悪意を具現化したようなその佇まいは、登場するたびに画面の空気を凍りつかせた。
恋の駆け引きを解説する「女から告白したら告白じゃない、誘惑して男に告白させるのが女」といった台詞を、冷徹な事務連絡のように言い放つ。可愛らしさと不気味さの同居。視聴者は彼女の一挙手一投足に背筋を凍らせながらも、画面から目を離せなくなった。
名言「人生、ちょろかった」の真意とアリスの行動原理を解読する

物語のクライマックス近く、有朱が放った「人生、ちょろかった」という捨て台詞は、ドラマ史に残るパンチラインとして語り継がれている。この一言の裏には、一体どのような心情が隠されていたのだろうか。
主人公のカルテットドーナツホール4人が、夢破れ、挫折を抱え、それでも音楽にしがみつきながら泥臭く生きているのに対し、有朱は徹底したプラグマティズムと虚無主義を生きている。愛や情といった不確かなものを一切信じず、金と生存戦略だけに全神経を研ぎ澄ます。彼女の「ちょろい」という言葉は、世界を嘲笑しているようでいて、自らが信じる空虚なリアリズムの結晶でもあった。哀愁すら漂わせるそのシニシズムに、現代を生きる私たちがどこか共鳴してしまう皮肉がある。
脚本家・坂元裕二と演出・土井裕泰が引き出したキャスティング秘話

脚本の坂元裕二とチーフ演出の土井裕泰という、日本ドラマ界屈指のクリエイターコンビ。彼らが有朱役に吉岡里帆を抜擢した背景には、彼女が秘めていた「型にハマらない野性味」があった。
オーディションや初期の打ち合わせを経て、坂元裕二は吉岡の持つ独特のリズム感と、ある種の苛烈さを見抜いていたという。脚本が進行するにつれ、吉岡の芝居に合わせて有朱のキャラクターはより過激に、より多面的に研ぎ澄まされていった。土井裕泰の繊細な演出は、彼女の微細な表情の変化や、間合いの不気味さを極限まで引き出した。計算された本と演出、そして女優の覚悟が完璧に噛み合った稀有な瞬間だった。
松たか子ら実力派を翻弄した「異物」としての演技アプローチ
松たか子をはじめ、満島ひかり、高橋一生、松田龍平という錚々たる演技派が揃ったカルテットの輪。その緻密に構築された会話劇へ、容赦なく斧を振り下ろすかのように飛び込んできたのが吉岡里帆だ。
カルテットの4人が持つ「後ろめたさ」や「優しさ」を有朱は平然と踏み躙る。別荘に忍び込み、ヴァイオリンを盗もうとするシーンで見せた生々しい身体表現と、松たか子演じる巻真紀と対峙した際の緊迫感。予定調和を徹底して壊す「劇中の異物」として機能し切った彼女の度胸とアプローチは、共演陣からも絶賛を集めることとなった。
ラブサスペンスとブラックコメディの狭間で光るカルテットの再評価
本作は、単一のジャンルに押し込めることができない。ほろ苦い人間ドラマであり、上質なラブサスペンスであり、切れ味の鋭いブラックコメディでもある。そのジャンルの境界線を自在に飛び越えるトリックスターこそが来杉有朱だった。
彼女の行動は時にサスペンスの引き金となり、次の瞬間には痛烈なコメディへと昇華される。吉岡里帆の緩急自在なパフォーマンスが、作品全体のトーンを重層的なものへと押し上げた功績は計り知れない。カルテットが今なおカルト的な人気を誇る理由の一端は、間違いなくこの不協和音の美しさにある。
NetflixやU-NEXTで今なお熱狂を生み続ける普遍的な引力
現在、NetflixやU-NEXTといった動画配信プラットフォームを通じて、新たな世代がこの名作に触れ続けている。放送から歳月が流れてもなお、SNS上では有朱の台詞や怪演を巡る考察が途絶えることはない。
吉岡里帆がその後のキャリアで国民的女優へと駆け上がる決定的な足がかりとなった本作。理不尽で、美しく、どこか切ない冬の軽井沢の記憶。その中心で不敵に微笑む有朱の姿は、これからも日本のテレビドラマ史の特等席で、異彩を放ち続けるはずだ。 (出典: カルテット 吉岡 里帆(Yahoo!ニュース))